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行楽

実家に帰省してからもう2週間が経ちます。

この2週間の間に6回もニコニコ亭に行ったので、お店の人にすっかり顔を覚えられました。


今日も暇だったので、ガソリンの無駄遣いとは思いつつ赤城山麓を攻めてみました。


日本を代表するテーマパーク、ドイツ村。

広大な土地をもてあましたのか、500台は停められるであろう駐車場を有しています。
止まっている車を数えてみると1,2,3、・・・42台でした。

従業員がみんな暇そうにしていました。

売店にドイツから輸入したビールが置いてあったので、お土産用に購入しました。
6種類の銘柄で、計7本購入。3600円ですから決して安くはないです。

仙台に戻ったら私の自宅でゆっくり飲もうと思います。


赤城山の中腹の人里離れた森の中に、隠れ家的な温泉があります。

「梨木温泉」なるところです。

旅館が一軒建っているだけのとても小さな温泉です。

今日近くを通ってみて、なんとなく雰囲気が気に入りました。
何かの折に訪れてみたいななんて考えています。

群馬飲み第2弾とか・・・。


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偶然

昨日管理棟の2階に用があったので学校に行きました

用事を済ませ1階に降りると神さんに遭遇

「やらないか?」とのこと

「はい・・・」と僕

そこに阿部係長もやってきて「じゃあちょっと待っててな」とじらされ

しばらく待っていると阿部係長に「手配しといたから」と、小さな紙を渡されました

そこにはなんと「3/29 国際交流会館 9:00~」と驚きの文字が書いてある

「まずは本場を味わってこい」

海外はそういった文化も盛んですし、やはり一度は経験しておいた方がいいのかな?と思い、二つ返事でOK

入念に下見をし、最悪の事態に備え避難経路は3つ確認する

念入りに体を洗い、十分に睡眠をとって次の日に備えることにした




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国道をゆく

地元の風景が大きく変わりつつあります。

国道17号線のバイパス工事が進んでいるのです。

先日私は上武道路を快走しておりました。
これのおかげで東毛地区から前橋へのアクセスが非常に良くなっています。

まだこの道路の整備事業は途中であり、将来的には前橋市田口町で本線と連絡する予定だそうです。

また、渋川市半田から前橋市田口町まではすでに前橋渋川バイパスが通っているので、上武道路が完成すれば渋川から東毛地区までのアクセスが圧倒的に良くなるのです。

国道17号線は東京都と新潟県を結ぶ重要な幹線道路です。

あの有名な日本橋も国道17号線に指定されています(いくつかの国道が重複しているらしいですが)。
あの有名な東大赤門の目の前を走っている道路も国道17号線なのです。

本線は主要都市の中心部を走っているために渋滞がはなはだしいのです。


ところで、私はつい最近知ったのですが、通行するのに大きな支障のある国道のことを「酷道」と呼び親しむ人たちがいるんだそうです。

国道と言えば一般的にある程度整備された幹線道路がイメージされると思われますが、「酷道」はそのイメージとま逆なのです。

マニアたちの間で「酷道」と認定される道路はたとえば

1.車1台がやっと通れるほどの幅しかない
2.切り返しをしないと通れないカーブや交差点がある
3.舗装がされていない、あるいは不十分
4.崖っぷちなのに路肩が弱く、ガードレールもない
5.洗い越し(道路の上を流れる川)がある
6.そもそも車道ですらない(階段など)

などの特徴を有しています。

私は昨年の夏、福島県鮫川村で国道289号線の狭隘な山道に苦しめられたのですが、酷道マニアが言うには、国道289号線の本当に酷いところは福島県と新潟県の県境である八十里越えのけもの道なんだとか。

酷道にもさまざまなランクがあるらしいです。

仙台市民にとっておなじみの国道286号線(にーぱーろく)は初心者向けの酷道らしいです。
笹谷峠の道がそこそこ酷いということで認定されたようです。

あほらしいと思いつつもちょっと興味が湧いてしまう・・・。

七里が浜の哀歌

今日妹が小学校を卒業しました。

津久田小学校では、6年生になると授業の一環としてパソコンを使って卒業アルバムを作るのです。

私が小6の時も作った(作らされた)覚えがあります。
一太郎に写真を貼り付けて、その下にちょちょいとコメントを入れただけの適当なやつでした。

今はずいぶんいいやつができるんですね。

おさめられていたのは修学旅行の写真などでした。
まあそりゃそうでしょうね。


ところで、私は小学校の修学旅行のことをあまり覚えていません。

旅行先は鎌倉・江の島で、とても魅力的な景勝地だったのですが・・・。
いかんせん一泊二日では心行くまで観光できないのですよ。

唯一、バスの添乗員の方が聞かせてくださったあまり上手ではない哀歌が印象的でした。

真白き富士の嶺 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心

ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も波も 小さき腕に
力も尽き果て 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里が浜辺

み雪はむせびぬ 風さえ騒ぎて
月も星も 影をひそめ
みたまよ何処に 迷いておわすか
帰れ早く 母の胸に

逗子開成中学のボート遭難事件について歌ったものですね。

これが修学旅行の記憶の大部分を占めています。
だから小学校の修学旅行は私にとって結構ブルーな思い出となっています。

はたちの献血

献血をしに行ってきました。

震災で多くのけが人が出たことですし、血液の需要は高まっていることでしょう。

ところが献血ルームにおいては、機械が故障したり安定した電力が得られなくなったりしているために、血液の供給が追い付いていないようです。

群馬県内には献血ルームが3か所存在していますが、前橋・太田では停電の間献血ができないとのこと。
終日受け付けているのは、独自の電力を有している高崎駅の献血ルームのみだそうです。

東京近郊も同様の状況だそうです。
被災地ではこれより事態が深刻なものと思われます。

暇な人は高崎駅献血ルームHarmonyに行ってみてはいかがでしょうか。
昨年の12月にopenしたばかりのきれいなところです。


今、若い人が積極的に献血しているそうです。

私が行ったときにも、ぽつぽつ若い人が来ていました。
この春大学に進学するという青年とか。
私と同年代くらいの女子の二人組とか。

ポスターには「はたちの献血」という文字が躍っています。
ある程度宣伝効果を発揮したんですかね。

まあいずれにせよいい傾向だと思います。

私にとってはおよそ1年ぶりでしたが、今後はもっと頻繁に行こうかなと思います。

墓参り

お彼岸ということで、今日は先祖の墓参りに行ってきました。

我が家のお墓は、周りにある他の家のお墓と見比べてだいぶ激しく老朽化しています。

礎石はぼろぼろで今にも崩れそうだし、
灯篭は倒れかけているし、
柘植の木は荒れ放題に荒れているし、
花を挿す筒(あれは何て言うんだろう)には穴があいているし・・・。

我が家の墓石は三基あって、一つは先祖代々の墓、一つは海軍兵だった先祖のお墓、一つは陸軍兵だった先祖のお墓です。
一つ目のお墓以外はおそらく恩賜のものなのでしょう。
戦没者のお墓ですから、それが死後よっぽど後に建てられたものでなければ、65年以上前のものとみていいでしょう。

他の家のお墓は見たところここ10年以内に建てられたものではないでしょうか。

モダンなデザインの墓石が散見されます。

曲線の美しい墓石に大きな文字で「和」とか書いてあったり・・・。

最近は墓石が横長だったり、文字が横書きだったりするのが多いですね。どうしてでしょうね。

それもどういうわけか縦と横の比率が10:16くらいで、どことなくギリシア的な建築を思わせたり・・・。


あ、そうそう。

墓石よりも私が気になったのは戒名です。

周りを見ているとなぜか圧倒的に多いのが「○○○○居士」「○○○○大姉」といったたぐいのものです。

私は特別戒名に詳しいわけでもなんでもありませんが。
だからもし間違ったことを書いていたとしたらごめんなさい。

「居士」「大姉」はどうやら戒名料が二番目に安いみたいです。

戒名料が最も安いのは「信士」「信女」なのだそうで。

ちなみに、もっと高級なやつはたくさんあるみたいです。

どうしてみんな下から二番目のものを選ぶのでしょうか。
お金は出したくないけれど少しは見栄を張りたいという気持ちの表れでしょうか。

こういう風に考えるのは私がひねくれ者だからかな・・・?

私が死んだら、一番安い戒名にするか、さもなければ戒名なんてつけなくていいと思います。

先祖の祭祀の日に少々不謹慎なことを書きました。

奥の手

nekokan





有事の際に必要なもの、冷静な判断力と決断力

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回覧板

地元の日帰り温泉施設が被災者の避難所になるのだそうです。

今朝来た回覧板に書いてありました。

懐かしいですね、回覧板だなんて。
仙台ではそんなもの見た事ありませんでしたからね。

私が幼いころは、よく親に頼まれて回しに行ったものです。
はす向かいのうちでした。

その家の庭先には猛犬(幼い私にはそのように見えた)がいて、毎度毎度ものすごい勢いで吠えてくるのが厭わしかったので、私にとってこのお使いはそんなに気が進まなかった覚えがあります。

そこには老夫婦が住んでいました。
私が玄関を開けて回覧板を渡すと、きまっていつも湿気たお煎餅をくれるのでした。

私が中学校に上がるころでしょうか。そこのおばあさんが亡くなり、その数ヵ月後におじいさんが後を追うように亡くなってしまいました。

以後その家には息子だか孫だかが住むようになりました。

私は部活で帰宅が遅くなったということもあり、以来このお使いをやっていません。

このころから私の近所づきあいはめっきり減ったように思います。


今、仙台においては隣近所とのつきあいは皆無です。

アパートの隣の部屋に住んでいる人がどういう人なのかも全く分りません。
そういえば引越しの時のあいさつすらしていませんでした。

一応私の住む地域にも町内会みたいなものはあるんだったかな?
知りもしないという情けなさ。

近所の人どうしで助け合える社会っていいですよね。

私はまず家に帰ることからスタートしなければ。


2分間

震災の翌日に意外な出来事がありました。

中学時代のクラスメイトが、その子の親をして私の実家に私の安否を確認する電話を入れさせたのです。
自分でするのではなく、親にやらせるあたりがなんかいいですね。

その子はとても寡黙で、人と積極的にかかわるような感じではありませんでしたし、私もあんまり話したことがありません。
それが今回の電話のことを意外と言わせる理由です。

今日は(今日も)暇だったので、その子の家まで顔を見せに行ってみました。
私の家から自転車で20分くらいのところです。

玄関に現れたその子は昔と特に変わらず寡黙でした。
「ごめん、こんな恰好で」と言って出て来ました。まあいかにも普段着といった感じでした。

二言三言あいさつ程度の会話を交わすと、その子は私に「ちょっと待ってて」と言って家の中を何やらごそごそと探し回った後、適当なお菓子を持って玄関に戻ってきました。そして一言。
「家にたくさん余っているんだ。持って行って」
それだとなんか物乞いにきたみたいで申し訳ないよと言ったのですが、「余っているから」の一点張りに押されてありがたく頂戴しました。

ちなみにその間私は玄関の敷居を一度もまたいでいませんし、その子も一度も土間に下りてきていません。

もともと顔を見せるだけのつもりでしたし、ほかに用件もありませんでしたので、私はもう一遍軽くあいさつだけして帰りました。

距離感がまったくつかめない・・・。

とても不思議な2分間でした。

暇をもてあまして

実家で暇人の生活を送っています。
こんなにも暇なのは小学生のころの夏休み以来ではあるまいか?

こんなに頻繁に更新できるのも暇だからこそであります。

特に停電中なんかは携帯電話をいじることぐらいしか思いつきませんからね。
昨日は2回停電がありました。
今日も2回の予定だったのですが、2回目の停電は無しになりました。
ですから今こうしてパソコンをいじることができているのです。

公共交通機関も自家用車も使えないということで、ようやく自転車を買う気になりました。

朝9時20分に自宅を出発し、てくてく歩いて70分。
カインズホーム渋川鯉沢店で最も安い7980円の自転車を購入。

足が手に入って浮かれた私はさっそく、買ったばかりの自転車で高崎まで出かけたのでした。

何か常に動いていないと気が済みません。

自宅に帰ったのは18時過ぎでした。

明日はどうやって過ごそうかと考えています。
せっかく自転車を買ったので、またどこかへ出かけることを画策しています。



あ、そうだ。せっかく足が手に入って高崎まで行ったのに献血してくるのを忘れていました。
明日のプランは決定かな?

便乗更新

まさに一週間前の今ごろですね、未曾有の大災害が東日本を襲ったのは

当初は「結構揺れたなあ」としか思えなかったのですが、まさかここまで大事になるとは夢にも思いませんでした


常任のメンバーの大半は実家に帰省しているようで

避難できるならした方が良いのですけどね


私の実家、茨城の日立市は家族や友人の話を聞くところ、仙台の青葉区が平和に思えるくらい被害を受けているようです

各メディアは東北の事ばかりで、同じく被災地の茨城は触れられず(NHK等で少し放送されたみたいですが)、大変苦しい思いをしている模様

一時期は計画停電の中に茨城が組み込まれていました

茨城にはキー局がないのが災いしましたね






福島原発から仙台と日立はどうしようもなく等距離(100kmくらい)なため、原発からの避難という名目で帰省する意味が全くありません

かつ物資の問題で、いたずらに帰省すると家族の腹さえ余計に空かせてしまうという状態です

電話口で母は「普段食わん物を食ってるからなんか太った」なんて言っておりますので、あまり心配はないのかな?

家には亀裂がいたるところに入っているのでそちらの方が怖いです

あと、父の船が津波にさらわれて、北に数キロ行った会瀬港で発見されたそうな

見事にひっくりかえっていたので、もう使い物にはならないとのこと

趣味と実益を兼ねた漁ができなくなった父は今後どのような趣味を見つけるのでしょうか



私のアパートは全てのライフラインがありますので、当面は食料の問題をいかにクリアするかです

幸い買い置きや部員の残したものを拝借いたしましたので、しばらくの間生きるには困りませんが

やはり肉が圧倒的に足りません

プロテインはおならが臭くなるので大量摂取はNGなんですよ

野菜も残りホウレン草が3束


うわあああああああああああああああああああ








しかし私みたいな大学生や一人身の者は、他の人数の多い家庭に優先して買い物をしてもらって、その後で買い物をするしかないですね

何かスーパーに並ぶのに気が引けてしまいます

来週になれば少しは落ち着くと思いますので、そうしたら買い物でもしようかと思います



あと、とにかく暇で暇でしょうがありません

だからこそ今は体育部室にて北雄の仕事をしに来ているのですが・・・

夜は節電のために冷蔵庫とノートパソコンしか電気を利用していないため非常に寒いです

結露で窓際がびしょびしょですよ


こういう非常時にすら勉強しているのが高校時代の私ですが、あの時の情熱は最早ありません

帰ったら暗闇の中で幻想水滸伝Ⅰ・Ⅱをクリアする作業に戻ります


暇ならボランティアしろって?


募金で許して

震災7日目

私は現在、群馬の実家にいます。

県内の鉄道は概ね運休です。また、ガソリンが圧倒的に不足していて給油ができないため、村から出られない状態です。

というのも今、燃料は被災地に優先的に供給されているからです。

私は昨日その恩恵にあずかりました。
仙台から山形へ向かう高速バスがかなり増発されたのです。

ですから現在の燃料不足を歎くのは間違いなのだと思います。
私たちの行動には多少の支障をきたしていますが、そのぶん現地の人が救われているはずです。


話は変わって。
1日目から5日目までの私の生活を見ると、私がさも呑気に生きているかのように見えるかも知れませんが、それは実際にはある程度考えあってのことであります。

私が鍋パーティーやカレー祭りを行ったのは決して食材が潤沢にあったからではありません。みんなで食材を持ち寄って、本当なら4、5人前の食事を10人程度の人間でやっていたのです。
というのも、こんな時にひとりでいるのは絶対に良くないと思ったがためです。
仲間と同じ釜の飯を食うことは、みんなの「心のビタミン」になったのだと私は考えています。

5日間 続き

震災3日目。
朝起きてすぐに街中に繰り出し、コンビニ等を巡るも、収穫は得られません。

部室に戻り、しばらくぐだぐだしていました。

4人ばかり集まって私の家に行きました。私の家はプロパンガスが復旧していたので、ものを煮炊きすることはできたのです。

余談ですが、この日驚くべきことにさわきが営業していました。通常525円の焼きそばが300円で売られていたほか、水を無料で提供するなどしていました。マスターが後日語ったことには「こんな時に儲け出したらあかんで」だそうです。この店は神です。

この日の晩飯は前日と同じ鍋でした。

震災4日目。
朝起きてすぐに星陵体育館に行きました。バイトの連中が避難していると聞いたからです。行ってみたところ、2日目よりもだいぶ人が減っていました。みんな帰省し始めたのだそうです。

昼、さわきが営業していると聞いて行ってみました。久々にスタミナラーメンにありつくことができました。
人手が足りないというので、私はそのまま急遽バイトに入り、21時まで働きました。
夕飯は珍しく賄いが出てカレーヌードルをいただきました。
そして家に帰るやいなや就寝。

震災5日目。
この日は仙台における最後の晩餐としてカレー祭りを企画。有り合わせの食材を我が家に持ち寄り、6人で晩飯を楽しみました。


5日間

震災当日から5日目までの私の生活ぶりを紹介します。興味ない人はスルーして下さい。

震災の瞬間は大学生協の不動産事業部でアルバイトをしておりました。お客様にアパートの斡旋をしていたのですが、当然ながら中止。営業再開の目処は立っていません。

帰宅しようとしたところ、後期試験の下見に来ていた受験生に遭遇しました。公共交通機関が止まってホテルに帰れないというので、一緒に歩いて送りました。

大学に戻った時には周り中真っ暗でした。幸いにして部室に懐中電灯がたくさんあったので、それを頼りに公衆電話を探し、親と連絡をとりました。

その後ワンゲル部室へ訪れ、少し雑談し、自分の部室に戻って寝ました。

翌朝、バイトの連中が八幡小学校に避難しているというので訪れました。
しかし、子供たちや年配の方で飽和状態だったので、私は川内に戻りました。

近くの店で肉と野菜を買うことができました。部室には薪とマッチがあったので、みんなを呼んで鍋パーティーを行いました。

その後、川内体育館に行き、就寝。




すみません、マジで寒くなってきたので続きはそのうち書きます。

震災6日目

まず、常任のことを気にかけてコメントを下さった方、まことにありがとうございます。
常任委員は幸いにして全員無事が確認されていますのでご安心下さい。


さて、私は今勾当台公園前のバス停で寒空の中、山形行きのバスを待っております。
そうです。仙台脱出計画を試みているのです。
定刻まであと3時間程度ありますが、バス停にはざっと見て200人強の人が並んでいます。先頭の人は3時から待っているそうです。


今まではバタバタしていてブログの更新もままなりませんでした。
現在はバス待ちの時間を持て余したがためにこうして安否を伝えるに至っているという有様です。
連絡が遅くなりまして申し訳ありません。

常任委員会に関しては活動再開の目処が立っていません。また、機関誌『北雄』の発行も若干遅れる見込みです。

活動再開が決定次第またお伝え致します。

最後になりますが、皆々様のご無事を祈念致します。

東北大学学友会体育部常任委員会
会計局2年 松本剛

実家より

昨日見た夢の話。


一人の少女が私のもとにやってきた。
その少女はチマチョゴリのような衣装を身にまとい、あどけない顔立ちをしていた。

その少女は徐ろに金の延べ棒のようなものを差し出し、これを買わないかと私に持ちかけた。
それが本当に金の延べ棒だとしたら、大きさからして15万円くらいの値打ちのものだ。
だが、差し出されたそれはおもちゃのように軽かった。

私は「これは真鍮か何かでできているんだろう」と言った。
少女は「真鍮ってなに?」と私に尋ねた。
私は正直驚いた。この手の商売をしていてそんなことも知らないとは。
私は少々狼狽して「真鍮っていうのは銅と亜鉛の合金で・・・」などと辞書的な説明を始めた。

すると少女は「違うよ!」と必死の形相で否定した。

「ところでそれ、いくら?」と私は尋ねた。
「1000円」と少女は言った。

実際こんなものは10円の価値もないだろうと思いつつも私は「50円なら買ってやるよ」と言った。
少女は「いいよ」と言い、あっさり交渉成立。

少女は駆け引きを知らなかった。
この子絶対この商売に向いてないだろうと思いながら私は50円玉を差し出した。
少女は水を掬うときのように、両手を合わせて私の前に差し出した。
そのときの少女はこんなあこぎな商売をしているとは思えないほど無防備だった。

私はちょっとした悪戯を試みた。
お金を渡したその手で少女の腕を軽く引っ張ってみたのだ。
少女はいとも簡単に私の膝の上に崩れ落ちた。

そのときの少女のあどけない表情には一種の諦念をうかがうことができた。
私にはその子のことがなんだかとても不憫に思えた。
そしてその子に若干のお金を握らせて帰らせた。

なんかとても複雑な気分になった。


あくまで夢の話。念のため。






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Appendix

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jonin

Author:jonin
日陰で日々仕事に励む大学生たち。

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