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所感2

一口に社会といっても、さまざまな単位があります。
社会の最小単位は家族でしょうか。
学校、職場、地域、国家・・・これらみんな社会です。

ところで、どの社会にも必ずルールというものが存在しています。
学校ならば校則、国家ならば法律といった具合です。
そしてもちろん、暗黙のルールや、さまざまな不文律も存在しています。

ルールというものを煙たく思う人が少なからずいるようです。
そのような人はしばしば次のようなことを主張します。つまり、社会のルールは個人の権利を奪う悪しきものであると。社会はもっと個人を尊重すべきであると。

この風潮を「個人主義」と称する人がいますが、私は違うと思います。
「利己主義」と「個人主義」は混同されがちですが、個人主義は他者の利益を否定するものではありません。一方で利己主義には他者の利益という観念が含まれていません。

利己主義は往々にして他者の幸福と両立不可能です。
自分の希望が他者のそれと相容れないものであったなら、自分を押しとおすか、相手に押しとおされるか。
そうではなく、どうしたら両者とも満足のいくように事を運べるか、第3の道を模索すればいいのではないでしょうか。
私たち人間は意思疎通の手段をもっているはずです。

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テストやレポート・課題等に決着をつけ、殆どの方がほっと一段落する時期ですね


皆さんはこの一年どのように過ごされましたか?

部活に精を出した人、勉学に邁進した人、バイトに追われていた人など様々だと思います

後悔が残らないような生き方をしていますか?

大学生活は一生のうちで4年しかありません

人によってはあと1年間しか時間は残されていないのです

時間は有効に使いたいものですね








ということをゲームしながら書いています

フルプライスより同人の3000円ゲームの方が面白いってどういうことなの・・・




体育館へトレーニングに行きましたところ、11日から土日祝日はトレーニングルームが使えないそうで追い返されました

これからは平日しか使えなくなるのか、と少し残念です


ところで、日本人は身体作りにあまり関心が強くないですね

日本人だけでなく世界を見てもそうですが、ボディビルというジャンルにどこか偏見を持っている方が多いようで

プロテインを何か薬物と勘違いしておられたり(ただのたんぱく質なのに)、プロテインを飲んでいると変な目で見られてしまいます

身体を鍛えるという事はナルシストでもなんでもない

下手に服装で誤魔化すより遥かに自分を引き立ててくれる最良の手段だと私は思います


他人の趣向にとやかく言うわけではないですが、男女ともに身体がだらしない方が多い

スポーツ等、身体を鍛えるという事をしないから細く見えても筋肉が無く、みすぼらしい

もしくは脂肪が不自然に蓄積され、プロポーションが美しくない

顔の造形は生まれもったものであるため変える事は容易ではありませんが、身体はやる気さえあればどのような人でも変えることができます

セクシャルな魅力は、身体の美しさからくるものが大きいと思います

そしてトレーニング後の身体を見ることで自分に自信を持つきっかけにもなるのです

目で見て分かる変化は活力を生み出します

また、トレーニング後の脱力感と達成感は何事にも代え難く気持が良いものです


私はボディービルダーのようなフィジークを目指せと言っているわけではありませんし、トレー二ングを強要しているわけでもありません

自分の持っている資質、原石をそのままにしておくのは非常に惜しい事です

トレーニングルームに行く、ジムに通うのが難しいのであれば自宅トレーニングするのも結構です

場所が無い、時間が無いという方は、果たして本当にそうでしょうか

それは面倒な事を避ける言い訳ではないですか?

一度踏ん切りをつけてしまえば人間どんなことでもやれてしまうものです

その踏ん切りをつけられるか否かは、各々の意識に任せるしかないですが…





皆さんがこれを機に自分の身体と向き合い、トレーニングに少しでも興味を抱いて、かつ実践していただければこれ以上のことはありません




あぁ、北雄の作業しなきゃ…

スムルースを聴きながら

こんにちは。マイクに向かってこんにちは。広報の門脇です。

 本日(正しくは昨日)、やっとテストがひと段落つきました。やはり、勉強は毎日の積み重ねが大事だと、テスト直前に毎回実感します。ロシア語は本当に覚えることが多いのです。単語とか活用とか…。一朝一夕ではどうにもなりませんでした。しょんぼり。
 ちなみに、英語A2は無残な結果で終わりました。浮いたけど。
 今のところ、落とした単位は2、落とす予定の単位は8、今セメの予想取得単位数は14です。順調ですね!

 気がつけば、今日は母の誕生日です。今年で45歳くらいだったような気がします。いつの間にか忘れてしまっていました。後でメールでも送ろうかと思います。ちなみに、先週は私の誕生日がありました。合法的に酒が飲めるまであと一年です。なぜか実家から開封済みのケーキが届きました。うれしかったよ。

 あと、部活後のご飯でとある牧場に行ってきました。おにぎりがおすすめです。うまいです。鮭と昆布と梅が楽しめます。あわよくばスープもサービスしてもらえます。1個の重量が1キロ超えなのが玉にきずです。まだおなかいっぱい。
 案の定じゃんけんは負けました。

 すいまーがぎゃんぎゃんなので、今日はこの辺で。

所感

醸成しつつある思想をつれづれなるままに書き付けてみる。

私の高校時代の恩師の発言
「私は君たちの個人的な幸福のために教師をやっているのではない。社会に貢献する人材の育成のためにやっているのだ。」
私はこれを聞いてとても感心しました。

「個人の幸福」のような言葉は現代人の耳に甘美に聞こえることでしょう。ですが、「社会の幸福」ということに関して現代人はいささか関心が薄いように思います。
そんな風潮を彼は一喝した、そのように私には思われました。

ところで彼は、社会の幸福を目指しているが、個人は不幸でもかまわないということを言っているのでしょうか?
私はそうではないと思います。
個人の幸福を目的にしていないからといって、個人が不幸になるものではないでしょう。
社会の幸福と個人の幸福は同時に成り立ち得ないものではありません。

そもそも、「社会の幸福」と「個人の幸福」とが対比的に論じられる構図が問題なようにも思われます。
いったいなぜこのような構図が生まれたのでしょうか?

次回へと続く

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Author:jonin
日陰で日々仕事に励む大学生たち。

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