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自分常任史 (後編)

長文失礼してます。会計局長の西山です。






準幹になった自分たち。

53期の幹部さんたちが4人しかいなかったこともあり、ほとんどの仕事は回ってきていた。

そして、自分が会計局として何をやっていたかと聞かれると………。
やっぱり賛助かな?




ただ、55期の新歓コン後あたりからだろうか、よく幹部さん、特に戸さんとは語り合うことが多くなっていた…。



体育会室に一晩中いることもしばしば。



自分たちが幹部になった後にうまくやっていけるのかどうなのか?

下をまとめていくにはどんなことをしなければならないのか?


ああでもない、こうでもないっと…。


こんな一見無駄にも見えた時間が、今の自分にどれだけプラスになっていることか…。







時を同じくして、54期は次期委員長を誰にするのかで非常に悩んだ。

我々の場合で頭を悩ませた原因が七大戦実行委員会があったことだ…。


今だから言えるが、自分が立候補すれば即座に委員長になれた。

途中までは達彦が実行委員長になったので、自分が行くしかないだろうと覚悟はある程度決めていた。






自分の進んできた道として、

小学校時代は事あるごとに何かの班の長をやり、

中学校時代は学級委員、体育祭実行委員等、ことある実行委員を歴任。

そして、それぞれで委員長という立場に立っていた。

それこそ、学年を牛耳っているという感覚さえあった。

高校時代はあまりそのような目立った活動をしてはいなかったが、クラス委員の副委員長はやったことがある。


(生徒会だけは絶対にやらなかった。)




そんな自分。

常任委員会の委員長に興味が無いわけは全く無かった。

常任委員の会計局長にも興味があった。


会計局長との兼任も今考えればありだったかなっと思う。


しかし、自分は色々なことを考えて木下を委員長に推薦した。(担ぎ上げたっと行った方が正しいか?)

多分下級から見ていて木下が委員長になることはあまり考えられなかったと思う…。

そして自分は高橋と副委員長を兼任しようとしていた。

だが、それを木下が猛反発した。

多分、自分だとやりにくいと判断したんだろう…。

そこからか、常任内に派閥が出来てきたのは…?




次期委員長、各局長が決まり…そして

53期の幹部さんが引退され、ついに我々の時代が来た。

予想通り、戸さんから木下に変わったことによる、下級の戸惑いは感じることが出来た。

ただ、自分が思っていたことは、これが最善かつ最高の人事だったっと。






我々幹部が最初にぶち当たった壁は、七大戦の準備に関することだろう。

例年の幹部の仕事は下級を見守る、ただそれだけなのだが、今年ばかりはそうも言っていられなかった。

まず、前例を直接幹部さんから聞くことができなかったこと。

たいていの常任の仕事って毎年行っているものが多いから、マニュアルみたいなものがあるのだけれど…

それが無かったのが辛かったのかな?






前例が無いというもので辛かったのは実は体育部本部会計も一緒…。

自分が会計局長に就任してから、先輩から教わることも無く、手探り状態で色々なことをやっていった。

果たして自分がやってきたことが良かったのか?

今、とても不安である。



本部会計の仕事を終えて思うこと…。

もう少し、本部会計の仕事は簡素化できる部分がたくさんある。



そのために何が必要なのか?

それは自分が思うに、常任委員全員の積極的な協力だと思う。

誰か1人でも非協力だとうまくいかない。

本当に会計局長は一匹狼のように仕事をしているが、実は皆の協力が必要なのです。

会計局長も1人の人間です。
そんな万能な人間ばかりではありません。


まあ、ただ森山の場合は出来る子だがら、1人で何でもやってしまうかもね。

ただ、みんな言われたことはちゃんとやってもらわないと森山が困っちゃうから、よろしくね。





なぜ、会計局長が影の実力者だと言われるのか?

金を握っているから? 金庫番だから? 領収書換金してくれるから? 

確かに、そういった一面もあるかもしれないが、本質的な部分は


常任全体のことを把握している


からだと自分は思う。



お前、本当にそんな全体見てられたのかよっと言われるかもしれないが、


自分は自信を持って今の幹部の中で一番常任を全体から見てきたと思っている。


会計局長は体育会室に行くといつもいるように言われているが、たぶんこれが一つの要因なんだと思う。


全体の色々なことが分かってないと予算なんて組めませんよ…。




局長としての仕事は、今終わって思うのだが、正直そんなに大変なものじゃないです。

ただ、上のような理由から、常任、ひいては体育部を全体から見なければならないのが一番辛いところだと思う。


あと、会計の辛いところ。

失敗が許されないこと。

何かミスがあるとそこは必ず突っ込まれるし、何かしらの対応をしなければならない。

大変だったね、お疲れ、っとねぎらいの言葉を掛けていただけることもあるが、

基本的に失敗は許されない。





まあ、しかし、そんな失敗の許されなかった役員会も、各方面のご協力のおかげで乗り切ることが出来ました。


ありがとうございます。







話はすごい脱線しましたが、自分の常任での思い出はこんな感じです。




多分、こんな早い段階から引退を口にしている、自分に対して他の幹部さんや下級だってあんまり良しとは思っていないでしょ。

七大戦もあるのに。





ただね、こうやって書いていて思ったんだけれども、

たぶん、まだ自分の本心は常任に残っていたいんでしょね。



小中高と色々な団体に所属してきましたが、こんなに愛着を持った団体は生まれて初めてです。

「○○愛」みたいな言葉が自分は大嫌いだったんですけど、

常任に関してはそんな愛を与えてくれたし、感じ取ることができたみたいです。





本当に後2ヶ月で引退となるのは寂しいけれど、

最後まで下級の面倒を見るのが幹部の役目だと思うから、覚悟しておけよ。




こんな長文読んでくれた方、ありがとう。


そういえば、次誰かにまわさなきゃいけないんだよね………。

どうしようかね~?


なんか文章の流れで、次の会計局長にまわしてみます。

森山、あとは頼んだよ!
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自分常任史 (前編)

会計局長の西山です。

先日の役員会は皆さんご協力ありがとうございました。
議案についてはすべて承認され、無事に次期55期の会計局長森山に引き継ぎが出来そうです。

七大戦の経験もある森山は今年の私以上に厳格にきっちりした本部会計をやってくれるものともう確定しているので、よろしくね!

来年の役員会は今年よりももっとスムーズに行くと思いますよ。

よかったね、柴田!





これで私も心置きなく引退となります…。

本当に3年と少しありがとうございました…。

この「今日の常会」を更新することももしかしたら最後になるかもしれないと思い、常任への思いをいろいろと…。






ただ、何書いたらいいんだろうね?





私の常任思い出話でもしますかね~?

少々長文になると思うのだけれども、お付き合いの程よろしくお願いします。






-----※-----※-----※-----※-----※-----※-----※-----※-----※-----※-----



2005年春、東北大学に希望に満ちた1人の青年が入学した。

その青年は大都会東京の隣の県からはるばる仙台に来たため、友達も一緒にいるわけでもなく、1人心細く入学当初学校へ通っていた。

その青年は大学といえば、サークルだよなっと、川内の新歓の波に乗ろうとしていた…。




がしかし、その青年はうまくその波に乗ることが出来なかった…。




あ~また、大学生になっても帰宅部か~………。


それだけは避けたかった。

そんな時、その青年の手元にあったのが「北雄」だった。

ペラペラとページをめくっていると、とあるページに目が留まった…。

そう“常任委員会”である。


その青年は迷うことなく、書いてあった連絡先に電話をした。



そのとき電話に出たのは、多分戸さんだったと思う。

「何、興味があるの? じゃあ今日、常会っていうのやるから、来なよ」
「俺たちの活動場所分かる? 片平なんだけど?」
「そうか、わかんないなら、俺が迎えに行くよ。西公園の交番前で待ってて」





そして、青年は言われたとおり交番前で待っていた…。

そこには何と青年ともう1人、1年生が待っていた…、そう現七大戦実行委員長である。



二人で待っていると、戸さんがやってきた。

達彦も戸崎さんも当時チャリだった…。(もちろん自分も…)


そして案内された体育会室…。


今よりも数百倍汚染されていたその部屋は青年に強烈なインパクトを与えた…。






その当時の幹部さんもものすごく極かった印象しか自分には与えなかった…。






最初に連れて行ってもらったご飯は仙台っ子ラーメン。

そこで食事に関しては全部先輩が持ってくれることを聞かされる。


また、そこで食事の際のルールを色々と教わった。

先輩が良いというまで食べてはいけない。
ラーメンはスープまで全部飲み干さなきゃダメ。
食べ終わった後の恒例の儀式。
その後のジャンケン…。


これは今も続いていることであるが、当時はこれが今よりもきつかった気がする…。


自分としては見学で行ったつもりの常任だったが、その日になんだか入部する流れになっていた…。










そうして、常任に入って2週間が過ぎようとしていたGW明けの月曜日、事件は起こった…。





母親から


「父危篤、はやく帰って来い!」


とのメールが…。






一目散で帰ったのだが、時すでに遅し…。

自分の父親は短い人生に幕を閉じていた…。


自分が高校2年のときから病気で入退院を繰り返していたのだが、その1週間前に病院に見舞いに行ったときには全くそんな様子ではなかったので、余計にショックを受けた…。







そして、それ以降入部して間もない常任にも顔を出せなくなり、ただ当時委員長の井口さんには実家の緊急事態とだけ言っていた。





6月になってからだろうか、やっと常任に復活できたのは…。

大学生活というまだ未知の世界が始まったばかりで不安な自分に追い討ちをかけるように舞い込んだ父の訃報。


一時期は正直な話、常任を辞めようとも思っていた…。


常任だけでなく大学も辞めて地元に帰ろうとも考えていた…。




が、そんないつまでもくよくよしていてはダメだと、自分に言い聞かせ大学生活、常任の活動を再開させる。








そして51期幹部さんが引退し、その年の秋。

各部から自分たちの同期が派遣されてきた。

何が良かったって議題か議事録を毎週書かなくて良くなったこと…。

皆の第一印象はあまり覚えてないけれど、永澤が派遣されてきたときの自己紹介後質問タイムで


「この部屋についてどう思うか?」


と聞かれた後の永澤の答え


「ほがらか」


は今でも忘れない。



何で文学部ってこういう答え方を出来るのかね~。








そしてその年のLAの後、ついに自分たちの局が決まった。

自分は会計局を第一志望にした。

何でかって?

やっぱり、森山先輩というのが大きかったのかな?
(LAの議長もすごかったしね、隣で書記やってたけど)



会計局で一番最初にやった仕事、それは決算書のチェック

(正確に言えば、1年の夏には北雄の賛助の電話かけはしていたけど)

今も昔も変わらない。




また時が過ぎ、大学2年生になった。

今度は自分たちに後輩が出来た。

しかも、その年は常任にとても珍しく女の子が2人だ。

今でもそうなのだが、性別は違えど自分と同じいわゆる“一般”として入部してきた二人には常任の中でも一番、自分以上に頑張ってもらいたいと思っているもんだね(嘘じゃないよ)。





この頃、事業局の二人なんかは既にイベントの担当者なんかになって、常任でも活躍していたが、自分たちはまだ裏方で働いていた。
(このときも北雄の賛助はやっていたが…)



そして時が過ぎて52期の幹部さんも引退された。


ついに自分たちも准幹と呼ばれるようになった…。












長くなったのでとりあえず、ここで前編を終了とする。




後編はとりあえず、今日中には書きたいと思う。

竹中から近況報告

 どうもお疲れ様です。齊藤からバトンを渡された竹中です。齊藤の走った区間がやたら短いような気がしますがまあそれは置いておいて近況報告をば。




 

 先日ゴールデンウィーク中行われました東北地区学生アーチェリー王座決定戦(正式名称うろおぼえ)も無事に終了し、アーチェリー部員としては一区切りついた感じです。応援に来てくれた野元君をはじめ応援団の方々、その節はありがとうございました。しばらくは週2・3でエンジョイアーチャーやっていようと思います。夏に個人選手権や七大戦があるのでその辺で本格的に復帰しようかなと。山口君、後はよろしく。






 それと、近頃体育会室にいる確率がうなぎのぼりにあがっています。役員会のこともあるのですが、どうもそれ以上に暇があるといっているようです。なんだかんだいって誰かしらいますから退屈じゃないですし、忘れてた仕事も片付くので。
 そういえば先ほど関口さんとジャンケンしてまけました。220円分捕られました。関口さん極いですよ…







 あとそうですね、最近自転車の鍵の調子が悪いです。なんだか差し込みにくいし回しにくいし、もうそろそろ寿命でしょうか。どなたか使わなくなった鍵を持っていませんか?ダイヤル式でも鍵式でも構いませんので、いましたらお知らせください。








 今読み返してみましたが、すごくつまらないことばっかり書いていますね。でもぼくの日常なんてこんなもんなので、あきらめてください。おもしろい文章が読みたいなら小説でも読んでください。ラノベ関係なら関口さんや丹澤などに聞いてください。ぼくはなんだかんだいって未履修なのであしからず。


 
 それでは次は庄子にでも…回すと思ったら大間違いじゃ!会計局のドンこと西山さんにお願いします。それではまた。










 追記
 研究室が思った以上に居心地いいです。庄子を携帯が変換してくれないことについさっき気付きました(でも辞書に登録するのは断る)。お天気が最近やたらにいいです。シルヴィアが休みだと異常なほどテンションが下がります。ランランルーが頭から離れません。一刻も早く実家に帰りたいです。親が近近きそうです。

遅くなってしまって申し訳ございません。

だいぶ前にブログを回された齊藤です。

遅くなってしまったのですが、春のスポーツ大会をなんとか終えることができました。
手伝ってくださったみなさんありがとうございました。

これから北雄杯に向けてがんばっている三浦君の手伝いを頑張りたいと思います。

短い文で申し訳ありませんが、次は今ちょうど隣に座っておられる竹中さんにお願いしたいと思います。

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日陰で日々仕事に励む大学生たち。

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